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目次
◆西村一義九段著『やさしい詰物二百題』問題一覧Part1(第1題~第13題まで) 難易度普通 中級~上級者向け
当ブログに2019年11月14日~11月24日掲載した、西村一義九段著『やさしい詰物二百題』(1995年6月30日出版)を見やすいよう、このページに今まで載せた11題を掲載しました。
気になる解答は問題図の下にあるリンクをクリックすると見る事ができます。
第1題、第2題、第3題、第5第、第6題、第8題、第9題、第10題、第11題、第12題、第13題をこのページに掲載しています。(第4第、第7題は全部掲載するのと後半の問題が紹介しきれないので、ブログへの掲載を見送りました。)
☆『やさしい詰物二百題』(1995年6月30日 将棋天国社出版)とは?
※この『やさしい詰物二百題』(1995年6月30日出版)は、著者の西村一義九段と、出版社の将棋天国社から許可を頂いて掲載しています。 無断転載はご遠慮ください。
『やさしい詰物二百題』は初心者~有段者まで楽しめる、難易度を簡単にした5手詰~11手詰の作品集です。
さらに「何手詰」かの詰手数表示がない、異色の一冊!
この本の詳しい紹介記事はこちらです。
◎関連記事 ⇒ 西村一義九段著『やさしい詰物二百題』の紹介(出版:将棋天国社)
*著者 西村一義 プロフィール
・『日本将棋連盟』:西村一義 棋士データベース ←クリックでリンク先へ飛ぶ。
西村 一義 九段(1941年12月14日生まれ。)
佐瀬勇次名誉九段門下。
振り飛車党で大内延介九段と並ぶ振り飛車穴熊の先駆者。
弟子には藤井猛九段、三浦弘行九段、阿部健治郎七段、星野良生五段、山田久美女流四段、藤田綾女流二段、北尾まどか女流二段 (2022年3月時点。)がいます。
◆今までブログに掲載した『やさしい詰物二百題』問題一覧
当ブログに今まで掲載した西村一義九段著『やさしい詰物二百題』の問題一覧はこちら。
◎【中級~上級者向け】西村一義九段著『やさしい詰物二百題』問題一覧
・Part1:第1題~第13題まで
・Part2:第15題~第34題まで
・Part3:第36題~第63題まで
そこも含めて、考えてみましょう。
西村先生が将棋界のトリビアについて語った「将棋よもやま話」も一緒に掲載しています。
◆『やさしい詰物二百題』第1題~第13題
◇第1題
(当ブログは、この詰将棋の作者の西村一義九段と、出版社の将棋天国社に、許可を頂いて掲載していますので
上記ボタンからツイッターカード経緯で出題する事は無断転載になりません。)
この問題の答えはこちら↓。
△将棋よもやま話
将棋は千二百年の奈良時代に遣唐使が唐から持ち帰ったものと言われる。
この面白い遊びを作った昔の人々の知恵に感謝したい。
◇第2題
(当ブログは、この詰将棋の作者の西村一義九段と、出版社の将棋天国社に、許可を頂いて掲載していますので
上記ボタンからツイッターカード経緯で出題する事は無断転載になりません。)
この問題の答えはこちら↓。
△将棋よもやま話
将棋の源はインドのチャトランガ。
それが変形しながらアジア大陸を経て日本に伝えられた。
西洋に渡ったのがチェスである。
◇第3題
(当ブログは、この詰将棋の作者の西村一義九段と、出版社の将棋天国社に、許可を頂いて掲載していますので
上記ボタンからツイッターカード経緯で出題する事は無断転載になりません。)
この問題の答えはこちら↓。
△将棋よもやま話
世界には様々な将棋がある。
競技人口の一番多いのは西洋将棋(チェス)。
続いて中国将棋(象棋)。
日本将棋は三番目か。
◇第5題
(当ブログは、この詰将棋の作者の西村一義九段と、出版社の将棋天国社に、許可を頂いて掲載していますので
上記ボタンからツイッターカード経緯で出題する事は無断転載になりません。)
この問題の答えはこちら↓。
△将棋よもやま話
初代名人大橋宗桂は戦国時代から江戸初期にかけて活躍した人。
信長・秀吉・家康の三雄に仕えた。
◇第6題
(当ブログは、この詰将棋の作者の西村一義九段と、出版社の将棋天国社に、許可を頂いて掲載していますので
上記ボタンからツイッターカード経緯で出題する事は無断転載になりません。)
この問題の答えはこちら↓。
△将棋よもやま話
大橋宗桂は織田信長に仕えていたとき、桂を巧みに使うので、「宗桂」の名を与えられた。
☆マイナー将棋ブログ加筆「初代大橋宗桂の桂使い」
初代大橋宗桂の注目の一局を紹介。
【1618年8月11日本因坊算砂対初代大橋宗桂図】
初代宗桂△6五桂タダ捨て。▲同歩は△6六歩。
初代大橋宗桂の妙技。上図の△6五桂のタダ捨て以下、▲同歩に△6六歩から初代大橋宗桂の攻めが決まった。
上記の 1618年8月11日 御城将棋 本因坊算砂 対 初代大橋宗桂 の一局を下記で動かして再生できます。
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◇第8題
(当ブログは、この詰将棋の作者の西村一義九段と、出版社の将棋天国社に、許可を頂いて掲載していますので
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この問題の答えはこちら↓。
△将棋よもやま話
信長は本能寺で明智光秀に襲われて自刃。
この信長の呆気ない死を「本能寺端の歩を突く暇もなし」と詠んだ古川柳もある。
◇第9題
(当ブログは、この詰将棋の作者の西村一義九段と、出版社の将棋天国社に、許可を頂いて掲載していますので
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△将棋よもやま話
「大閣将棋」というのがあった。
先手側が飛車先の歩を省き、初手で相手の角頭に飛車が成り込む。
秀吉の傍若無人ぶりの名残りか。
【大閣将棋図】
駒落ち側が上手。 初手△8七飛成で上手有利。
◇第10題
(当ブログは、この詰将棋の作者の西村一義九段と、出版社の将棋天国社に、許可を頂いて掲載していますので
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△将棋よもやま話
現存する最古の棋譜は、慶長十二年に大橋宗桂が先手で本因坊算砂と指した平手戦。
両者が飛車を振る相四間飛車であった。
☆マイナー将棋ブログ加筆「最古の棋譜 慶長十二年(1607年) 初代大橋宗桂対本因坊算砂」
初代大橋宗桂と本因坊算砂の最古の棋譜を紹介。
【1607年6月1日初代大橋宗桂図対本因坊算砂】
現在に残る最古の棋譜。相四間飛車。
上記の 1607年6月1日 御城将棋 初代大橋宗桂 対 本因坊算砂 の一局を下記で動かして再生できます。
◇第11題
(当ブログは、この詰将棋の作者の西村一義九段と、出版社の将棋天国社に、許可を頂いて掲載していますので
上記ボタンからツイッターカード経緯で出題する事は無断転載になりません。)
この問題の答えはこちら↓。
△将棋よもやま話
江戸城内で将軍家に将棋を披露することを「御城将棋」と言った。
毎年十一月十七日で「将棋の日」として今に残る。
◇第12題
(当ブログは、この詰将棋の作者の西村一義九段と、出版社の将棋天国社に、許可を頂いて掲載していますので
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この問題の答えはこちら↓。
△将棋よもやま話
棋界では八十一歳を「盤寿」として祝う。
将棋盤の枡目の数に由来する。
これまでに加藤治郎名誉九段や小堀清一九段がおられる。
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◇第13題
(当ブログは、この詰将棋の作者の西村一義九段と、出版社の将棋天国社に、許可を頂いて掲載していますので
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この問題の答えはこちら↓。
△将棋よもやま話
駒には王と玉がある。
対局では上位者が王を持ち、下位者が玉を並べる。
これは将棋の礼である。
◆次回 Part2へ (第15題~第34題)
▽関連商品(将棋天国社の出版物)
◇Amazonで購入する
・『やさしい詰物二百題 ──付・将棋よもやま話──』を購入する
◇将棋天国社の本出版物一覧
◎関連記事 ⇒ Amazonで販売中の将棋天国社の書籍一覧
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