『季刊夏 将棋天国VOL.14』昭和57年7月10日発行
P30「<特別企画>大山康晴十五世名人に聞く
──まぼろしの大野・大山十番将棋」より
聞く人 宮崎忠雄 五段(津軽支部長)、坂本一裕 四段(将棋評論家)、中戸俊洋 四段(本誌)
中戸 大山名人には超ご多忙のところ、特に時間をさいていただいて有難うございます。 大野先生との十番将棋はどんないきさつで対局されたものでしょうか。 まずその辺から・・・・・・。
大山 大野さんは木見金治郎先生の最高弟で、私が入門した昭和十三年三月にはすでに五段でした。 昭和十年十一月、大阪に新しく新進棋士奨励会が誕生し、それと同時に木見会が出来て木見教室として多くのファンの人が集まり、毎月一回将棋を指したり語り合ったりしたものです。 木見先生が目を細めてタバコを吸っている姿は今もハッキリ思い出します。 その木見会の席上手合いで大野・大山の十番将棋を指させたら、と言う事になり、実現したものです。
宮崎 どこかの新聞に発表されたものですか?
大山 新聞棋戦ではなく、木見会の会員さんに見て頂くためのものでしたから発表されなかったと思います。 ただ、昭和十七年五月号の『将棋世界』と昭和二十九年十月号の『近代将棋』に香落ちの一局を私が書いたことがあります。
坂本 私が子供の頃に『将棋世界』の香落ち戦を見ましたが、そのさばきの鮮やかさに感激、興奮し、将棋とはこんなに面白いものかと、熱中したきっかけになったことは忘れられません。
中戸 手合いはなんだったんですか。
大山 私が二段の時、最初は角落ちでしたが、私が昇段して四段になった頃に香落ちで十番将棋として始まり、最後は平手もありました。
坂本 私は大野、大山両先生のこの十番将棋の棋譜を何十年も探し続けて来ましたが、どうしても手に入らず、あきらめていました。 今回名人のご好意で、角落ち、香落ちを各一局拝見することが出来、全く夢のようです。
宮崎 とにかくビッグニュースで、本誌としても大特ダネであるし、これは全国的にも大反響を呼ぶでしょうね。
中戸 本誌にも予告を出しましたが、一日も早く見たいと投書が殺到しています。 まさにまぼろしの名棋譜で、私も興奮しています。
大山 皆さんに喜んでもらえれば私もうれしいです。 ファンあってのプロ棋界ですからね。
宮崎 このような大特ダネを発表できたのは名人のおかげですが、そのきっかけをつくったのは坂本さんの熱意でしたね。
中戸 それでは棋譜の読み上げを坂本さんにお願いし、私と宮崎さんが先生に質問すると言う形式にします。 よろしくお願いします。
昭和十五年九月八日
木見会 (第二十四回・大阪市北区老松町三丁目三十一の木見金次郎先生宅にて)
角落ち
△七段 大野 源一
▲四段 大山 康晴
△8四歩 ▲7六歩 △6二銀 ▲7八銀 △6四歩 ▲6六歩
△5四歩 ▲5六歩 △9四歩 ▲6七銀 △8五歩 ▲7七角
△7二金 ▲7五歩 △5二金 ▲7六銀 △6三金左 ▲6八飛
△5三銀 ▲4八玉 △4四歩 ▲3八玉 △5二玉 ▲5八金左
△3二銀 ▲4六歩 △3四歩 ▲2八玉 △4三銀 ▲3八銀
△3三桂 ▲3六歩 △8三金 ▲6五歩 △同 歩 ▲同 銀
△6四歩 ▲7六銀 △4二玉 ▲4七金まで第一図。
中戸 プロ同士の角落ち戦はやはり少ないと思うんですが、『将棋賛歌』でA級棋士と三段クラスの角落ちを連載し今までのところ、上手が勝ち越しているのが話題になっていますが・・・・・・。
大山 その対局にくらべて上手の段が低く、下手の段が高いのですから、私としては負けられません。 でも、私が二段の時、六段の升田さんと角落ちで顔が合い、一手負けになったのをトン死で拾ったことがあるので、あまり大きなことは言えませんがね。
宮崎 角落ちの下手としては矢倉居飛車が本格的とされているようですが、本局では6七銀と振り飛車ですね。
大山 居飛車、振り飛車は一長一短ですが、昔は七間飛車を本定跡と称していました。 下手としては、どちらでも指せると言うのが私の見解です。
中戸 上手が7二金と7筋の位を許したのはどんなものでしょうか。
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「大山康晴十五世名人に聞く
まぼろしの大野・大山十番将棋」
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