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目次
◆棋譜情報・出典
掲載:将棋月報(1940年6月10日発行) P59~60より。
対局日:不明
先手:山本武雄 二段
後手:間宮純一 三段
戦型:間宮式角換わり△3三金型早繰り銀
◆「1940年に既に存在!『間宮流△3三金型早繰り銀』その1」ハイライトシーン
本局の見どころを紹介!
【第1図は12手目△3三同金まで】
この形は…1940年に存在していた!
上記 第1図は後手の間宮純一 三段(当時)が角換わり△3三金型に組んだ将棋。
この角換わり△3三金型は2020年頃にプロ棋界で流行した戦法で、
有力な新戦法として話題を呼んだのですが…。
なんとこの形は既に1940年に間宮久夢斎が指していた手なのです。
(これ以降ももう一局実戦例があり、それは次で紹介。)
ここからの指し回しも鋭く、先見の明を感じさせる一局です。
そして先手の山本武雄 二段(当時)の対策はいかに?
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【第2図は44手目△同銀まで】
以下早繰り銀へ。まるで2020年代の将棋。
そこから後手は玉を3二へ囲い、
△7五同銀!(上記 第2図)と早繰り銀型の仕掛けで先行。
この△3三金型+早繰り銀という組み合わせは
「△3三金型早繰り銀」(サザンハヤクリ)戦法と呼ばれ
現在では当たり前の有力戦法ですが
この形を80年前の1940年に間宮純一 三段が
指していたというのは、なんとも驚くしかありません。
(ただし現在出版されている定跡書とは
少々後手の囲いの形が違うのですが…。)
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【第3図は53手目▲4五歩まで】
ここで後手、主導権を握る一手を放った。
そこから後手は8筋銀交換に成功。
先手はその代償を求めて▲4五歩!(上記 第3図)と仕掛け、
3七の桂を4五へ跳ねる事で、後手の△3三金を狙っていこうとするのですが。
ここで後手はさらに攻めを続けて主導権を握る一手を放ちます。
その一手とは?
気になる次の一手!
本局の全容はこちら!↓
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◆「間宮久夢流」の定跡解説はこちら
当ブログでは入玉戦法「間宮久夢流」の基本的な定跡解説もしています。
本戦法がどういう構想でどの地点を狙って指しているのか?
下記の定跡解説を読むと、その全てが理解できるでしょう。
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◆出題◆
入玉戦法『間宮久夢流』より
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難易度:かんたん
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